あの日………1997.11.16(Sun):決戦(前半45分)

前半、日本は電光掲示板側のエンドに陣取る。
すなわち、前半日本がゴールを決めれば、私は間近でそれを見られる…。
「前半に点取って頂戴よ♪」
期待に胸躍る…。


試合が始まり、
日本は今までのシステムを崩さず、自分たちのサッカーをしようというのが見て取れた。


一方、イランが3TOPで来ているのが分かった。
アジジ・ダエイの2枚に加え、若手売り出し中のマハタビキアが
イラン右サイドの高い位置に張り出していた。
「こりゃ、相馬とガチンコだな。」
イランのしたたかさに敵ながら感心する。
自分たちの長所を生かしつつ、確実に日本の長所を消しに来た。


イランのしたたかさは、これだけではなかった。


それは日本最初のコーナーキックのとき。。。
DFラインにいた井原はいつもの如く
敵陣のペナルティエリアに向かって小走りしていた。
ところが、敵陣中央で立ち止まり、自分がいたハーフウェイラインに目をやる。
そして、少しキョロキョロした後、すごすごとDFラインに戻っていった。


なんと、イランは日本のコーナーキック時に
FW3枚全てをハーフウェイ付近に残していたのだ。
「セットプレイも消しに来たか…。」






思えば、この日の岡ちゃんの強気っぷりが見て取れる采配だった。
それは、日本2本目のコーナーキック。。。
井原は張り付いたようにDFラインに残っていた。
しかし、次の瞬間慌てて、敵陣ペナルティエリアまで走り出す。
日本ベンチに目をやると、大きな身振りで「上がれ!上がれ!」と指示する岡ちゃんがいた。


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実はここから記憶が定かではないのだが、
日本のコーナーキック時、
後ろに残したのは、相馬・名良橋・山口の3枚だったと思う。
普通は敵より1枚多く残すのだが、たしか、余らせなかったと思う。
それと、
この後のコーナーキックのこぼれ球はことごとく山口が拾ってたと思う。


あのときまでは………。
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イランの残っていた3枚も日本のキッカーがボールを蹴る瞬間に
ハーフウェイ付近から自陣近くまで戻ってくる動きを終始していた。






あのような激闘だった訳だが、こうして振り返ってみると、
実に思い出せないことが多いモノだと気付かされる。
(VTRを見れば良いが、敢えて自分の記憶力にチャレンジw)


その他に前半で思い出されるシーンは
中山の得点シーンはもちろんだが、
あとはイランの攻守の切替の早さだ。
「中東はカウンターがうまいなぁ〜。」ということ。


いずれにしても、待望の先制点が入り、
(しかも、こっちサイドで日本のゴールが見られた^^)
安堵し、希望と活気に満ちたハーフタイムを迎えるのであった。






ジョホールバルの歓喜 - Wikipedia