12の春Vol.完結編

1982/02/03---24年前の今日………
この日は、受かればラッキー…ってな感じで二校目を受験していました。


昼休みどうだったか………全く覚えていないと云って良いでしょう。






そもそも、二校目に受験する学校の下見などしなかったので、
学校への行き方もいい加減でした。
家の近くの浅草寿町のバス停から
「バスで一本だから余裕余裕」くらいの勢いでした。


2日前の本命校受験時と同様、
父親と一緒にバスでその学校に向かいました。


バスに乗り込んでから、20分、30分と時が刻まれていきます。
一向に目的地に辿り着く気配がありません。
「やばい!」
このままでは遅刻すると判断して、バスを降りタクシーに飛び乗りました。


集合時間に何とか間に合い、受験生の集合場所である校舎前に行きました。
大勢の受験生でごった返していました。知り合いなども見当たりません。


その受験校は首都圏で御三家と呼ばれる学校の「すべり止め」としても有名で、
また、2月3日試験と集中日から外れているため、
競争倍率が6倍以上ある激戦校でした。
(当時競争倍率の平均が3〜4倍のころ)


集合場所にいる全ての人が賢そうに見えました。。。




私が試験を受けた席は窓際で、その目線の先には、
サンシャインシティが「で〜ん」とありました。。。
「でけ〜なぁ〜〜〜〜」
試験問題を見ても全然解けそうにないので、
ぼけ〜〜〜っと表ばかり眺めてました。
「良い天気だなぁ。あ〜、遊びてぇ〜。」




その日の午後イチには、2日前受験した学校の合格発表。。。
私は見に行けないので、父親が見る手はずになってました。


「こんなんだったら、今日受けなきゃ良かった。。。」
「合格発表、この目で見たいなぁ〜。」
試験問題が難しいのを口実に、私の脳は現実逃避しまくります。


結局、こんな感じでうだうだしながら、14時くらいに二校目の試験を終えました。




試験が終わると「もう俺の運命決まってるんだよなぁ〜。」
本命校の結果が気になって気になって仕方ありません。
すごい不安のなか、テクテクと当時両親が経営していた弁当屋に向かいました。。。


店が見え、最後の50mばかしの道のりが
本当に近くもあり遠くもあり複雑に感じました。。。
店に入ると母親とバイトの従業員の2人だけでした。
「ただいま…。」
「おかえり。どうだった?」
「全然………。」
2人とも合否の結果を知っているはずなのに、素知らぬ感じの出迎えでした。


「合格してたら、もっと嬉しそうにするよな??」
不安が過ぎります。自分の中で少し気持ちの整理をしてから尋ねました。




「ねぇ?どうだったの?合格発表。結果出てるよね?」


今風に云えば、2人とも「ミリオネアのもんた」張りな”間”を作りました。
「………」
私も怖くて続きが聞けず言葉が出ません。
「………」
「………」


母親は言葉を発しないまま、大きな封筒を差し出しました。
「なに?これ……」
「いいから、開けてみなさい。」




その封筒には本命校の入学手続き書類が入っていました。