ついったーの面白さを伝えるのは難しいと思ってることなど
NHKがツイッター特集を組んでた流れを受けて、想ったことを書き殴ってみるよ^^
ホントにつらつらつらと書き殴ってみる。
- ついったーの面白さを伝える言語は、ついったーが最適と思う
- ついったーがないと困る
- ツイッターを知らない人に「ついったーがないと困る」だけを取り上げられると、それはそれで困る
- ついったーはゆるい
- 「ツイッターの楽しみ方を決める」のは、ユーザひとりひとり
- 「ついったーをこう楽しめ!」というのは、ないと思ってる。でもボクは「ついったーをこう楽しんでる」というのは、ある。だから、やってる。
- 「ついったーはかくあるべき」というのは、ないと思ってる。一方、「ついったーはかくあるべき」と思ってるユーザがちらほら居るように思う。それを受け容れるゆるさをボクはボクに求める。
- ついったーをタイムログとして使ってる
- レスポンスを期待して投げたpostにレスが返ることは稀
- 勝手に一人歩きするpostがあったりする
- remove/blockご自由にと頭で理解していながら、remove/blockされると辛い。だからbioにremove/blockご自由にとは書けない。remove/blockを受け容れる真のゆるさをボクはボクに求める。
- ボクが面白いと思ったことに、ついったーがfitした感。
「ついったーの面白さ」を探したことはない- ツイッターを始めた頃は「ツイッターの面白さ」を探してた希ガス。そして結構敷居が高かった鴨居。
- ツイッターを始めた頃、TLをずっと眺めていればキチガイになれると想ってた。みんなの膨大なつぶやきに押し潰される感から。。。
- ついったーに浸かっている今、TLを眺めても別になんともない。
- こうして振り返ってみるとボクはどうやってそのギャップを埋めて来たのだろう?分からないかも。。。
- ゆるさを頑なにkeepする絶妙のバランス感覚をボクはボクに求める
- ツイッターを知らない人にツイッターの楽しみを伝えるのに、「ツイッターやってみれ」では通じないと想うのだが。。。ボクはその言語を持ち合わせていない。その言語は、ついったーにある。
ひとまず、ここまで。。。これを放置するのかメンテかけるのかは未来のすがっちに委ねます。